囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その13
伊藤松次郎との2子局です。
その4の記事では3子局で打っていたのですが、その時から約2年が経過しています。
この対局が1842年ですので、秀策はもうすぐ12歳という年齢です。
12歳で七段の松次郎に2子とは本当にすごいことだと思います。
当時の七段は「上手」といって現在のタイトルホルダークラスと言われています。
七段の上の八段は「準名人」と言われ、江戸時代の長い歴史上でも数える程しかいません。
更にその上、九段は「名人」と言われ、当時の囲碁界において名実ともに頂点の棋士になります。
名人、準名人は当時別格の棋士とされていましたので、まずは七段上手が全ての棋士にとっての目標でした。
現代とは段位の価値が全然違いますので、古碁を鑑賞する際は段位にも注目すると面白いかもしれませんね。
それでは早速対局を見ていきましょう!
黒の秀策少年が終始ペースを握り、最後まで隙を見せずに押し切りました。
途中白の松次郎も上手らしい巧みな打ち回しを見せたのですが、秀策は惑わされませんでしたね汗
いくらプロとはいえ並みの子供だと、上手がややこしくややこしく打ってくると騙されてしまうことが多くあると思うのですが・・・
やはり読みが正確で形勢判断もしっかりしているため、足取りが乱れることが少ないのでしょうね。
全盛期の秀策は正確な形勢判断を武器に簡明に勝ち切ることを得意としていました。
もちろん白番などではすごい力を発揮して戦い抜くこともあるのですが、共通しているのは深い読みと正確な形勢判断が秀策の強さの秘訣だということです。
12歳というこの時代からその片鱗は十分に感じることができます。
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