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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その17

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その17

    前局に続き、本因坊秀和との2子局です。

     

    江戸時代の勉強方法がどんなだったのか色々と想像してしまいます。

    詰碁や棋譜並べがメインなのか、練習碁がメインなのか。

     

    門弟は当主とはほとんど打ってもらえないと言われていますが、先輩棋士とは頻繁に打ってもらえるのでしょうか?

    比較的、秀策と秀和の碁は残されており、秀和がよく胸を貸していたと言われています。

    残っている棋譜以外にも、おそらくたくさんの対局を2人は行なっていたのだと想像しています。

     

    秀和以外にも強い先輩棋士が本因坊家にはいたので、とても恵まれた環境で秀策はどんどん棋力を向上させていったのでしょうね。

     

    それでは早速対局の方を見ていきましょう!

     

     

    秀和が趣向をこらした手を打ち、秀策の力を試すような展開になったように思います。

    秀策は惑わされることなく堅実に対応し、最後まで崩れることなく押し切りました。

     

    秀和は様々な手を実戦で試しています。

    常識にとらわれることなく、研究の意味も込めて色々な手を試し、囲碁の奥深さに挑んでいった棋士だと思います。

    我々、アマチュアが棋譜並べで参考にしていいかは難しいところですが・・・汗

    もちろん堅実に打ってとても素晴らしい棋譜もたくさん残しているので、秀和の碁は勉強にとても向いていると思います。

     

    秀策はあまりそういう冒険のような碁はありませんので、秀和以上に勉強に向いている棋士と言われていますね。

    この碁も暴れることなく、簡明に打って2子の効力を残したまま完勝しました。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その16

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その16

    本因坊秀和との対局です。

     

    これまで秀和とは3子の対局しかありませんでしたが、今局は2子局です。

     

    この時の秀和は既に本因坊家の跡目であり、22歳で七段の打ち盛り。

    その秀和に対して2子で打てるというのはとても凄いことなのです。

     

    この時、秀策は13歳。

    素晴らしい先輩棋士が同門ですぐ近くにいたことは秀策にとって、とても幸運だったと思います。

     

    それでは早速対局の方を見ていきましょう!

     

     

    秀和が先輩としての貫禄を見せつけた1局でした。

     

    普通2子局の白番だと、自分の石が薄くても若干無理気味に打ち進めることが多いですが、この碁はそういうシーンがあまりありませんでした。

    確かに打ち込んでいって攻められる場面はあったのですが、黒が攻めの利益をあまり得ることができない碁形にされていたように感じます。

    どこまでが秀和の読み筋かは分かりませんが、おそらくずっと初めからそういう形に持っていくように打っていたのだと思います。

     

    さすがの秀策もこの内容には感服したかもしれません。

    しかし、兄弟子である秀和は秀策が上に登っていくためには必ず超えなければならない壁なのです。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その15

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その15

    その14に続き葛野忠左衛門との対局です。

     

    この対局は秀策の先番です。

    2子では全く隙を見せずに完勝した秀策ですが、先番ではどうだったのでしょうか。

     

    2子と先番というと置石が1つしか変わらないので、対して影響は無いんじゃないかと思われる方もいるかもしれません。

    しかし、打ってみると分かりますがやはりかなり違います。

     

    普通2子局では4隅のうち3隅は黒が占めることができます。

    それが先番では2隅しか取ることができませんよね。

    囲碁では隅を抑えているのはかなり有利なので、この差が意外に大きいのです。

     

    加えて下手からすると今まで置石を置いて打っていたのが、いよいよ置石無しの対等になったという緊張のようなものがあります。

    置碁では上手である白から打ちますが、先では黒から打ちますよね。

    これが意外と嬉しかったりします笑

     

     

    それでは早速対局の方を見ていきましょう!

     

     

    この碁は白の忠左衛門の好局だったのではないでしょうか。

     

    序盤から地ではなく厚みを重視して打ち進め、最終的には中央に大きな地模様を形成しました。

    地合いでも厚みでも戦えるという、理想的な展開に持ち込んで黒を押し切った印象です。

     

    むしろ黒の秀策の方があまり手が伸びず、終始打ちづらそうな感じを受けました。

    初の先番ということで少し緊張したでしょうか。

     

    白の地で遅れても焦ることなく、手厚く構える打ち方はとても参考になりました。

    何度も並べて勉強したいですね。

     

    この時期、本因坊秀和や忠左衛門など、数多くの先輩棋士に鍛えられて秀策はドンドン強くなっていきました。

    時には本因坊家以外の棋士と対局することもあったでしょう。

    碁界全体で秀策という天才棋士を育てたといえるかもしれませんね。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その14

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その14

    葛野忠左衛門との2子局です。

     

    葛野忠左衛門は秀策とたくさん対局しており、これから何度も出てくる名前です。

    この人はとても波乱万丈な人生を歩みました。

     

    父は本因坊丈和(名人)、弟に中川亀三郎(方円社社長、準名人)という囲碁界のエリートとして生まれます。

    幼い頃から囲碁の才能を発揮し、13歳ごろに本因坊家に入門。道和を名乗ります。

    将来を嘱望されるのですが・・・

    同い年に天才、本因坊秀和がいました。

     

    2人は好敵手として切磋琢磨して技を磨いていき、四段までは同じペースで昇段します。

    しかし道和は眼病を患い、囲碁から一時離れることを余儀なくされます。

     

    その間に秀和は昇段し、本因坊家の跡目として地位を確立します。

    この時代、一門の家元、跡目は1人しかなれませんので、この競争に負けた道和の棋士としての将来は絶たれたことになります。

    眼病を患うことなく棋道に邁進していたのならどうなっていたのか・・・

    もしかしたら秀和という棋士の代わりに道和が本因坊家を継いでいたかもしれません。

     

    本因坊家を継ぐことができなくなり、失意の底にいた道和ですが、この後が激動の人生でした。

    他家である水谷家、そして井上家と渡り、最終的には井上家の家元となり、12世井上因碩を名乗るまでになります。

    本因坊丈和の息子が他家である井上家の家元になるというのは、とても珍しいことで当時では大きな出来事であったことは間違いありません。

     

    この他にもいろいろなエピソードがあり、書き出すととても長くなりそうなのでまた別の機会に分けて書きたいと思います。

     

     

    それでは対局の方を見ていきましょう!

     

     

     

    黒の完勝だったように思います。

     

    左辺の戦いで白に誤算があったのか、一気に黒がポイントをあげたと感じました。

    一度優勢になってからの黒の打ちまわしはとても見事で、隙を見せることなく押し切りました。

    この逃げ切り方は勉強になります。

     

    この時代は現代のように持ち時間がありませんので、優勢になってからの逆転負けというのが滅多にありません。

    十分に時間を使って形勢判断ができますし、ヨセもいくらでも考えることができるのでとても正確です。

    ヨセの勉強にはこの時代の棋譜並べが適していると思います。

     

    この時代の碁はそういうものだと知った上で棋譜を鑑賞するといいのではないでしょうか。

    現代はプロの碁でも秒読みに追われて終盤にひっくり返ることがよくあります。

    現代と江戸時代では持ち時間という観点で見ると全く別のゲームなのです。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その13

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その13

    伊藤松次郎との2子局です。

     

    その4の記事では3子局で打っていたのですが、その時から約2年が経過しています。

    この対局が1842年ですので、秀策はもうすぐ12歳という年齢です。

     

    12歳で七段の松次郎に2子とは本当にすごいことだと思います。

     

    当時の七段は「上手」といって現在のタイトルホルダークラスと言われています。

    七段の上の八段は「準名人」と言われ、江戸時代の長い歴史上でも数える程しかいません。

    更にその上、九段は「名人」と言われ、当時の囲碁界において名実ともに頂点の棋士になります。

    名人、準名人は当時別格の棋士とされていましたので、まずは七段上手が全ての棋士にとっての目標でした。

     

    現代とは段位の価値が全然違いますので、古碁を鑑賞する際は段位にも注目すると面白いかもしれませんね。

     

    それでは早速対局を見ていきましょう!

     

     

    黒の秀策少年が終始ペースを握り、最後まで隙を見せずに押し切りました。

     

    途中白の松次郎も上手らしい巧みな打ち回しを見せたのですが、秀策は惑わされませんでしたね汗

    いくらプロとはいえ並みの子供だと、上手がややこしくややこしく打ってくると騙されてしまうことが多くあると思うのですが・・・

    やはり読みが正確で形勢判断もしっかりしているため、足取りが乱れることが少ないのでしょうね。

     

    全盛期の秀策は正確な形勢判断を武器に簡明に勝ち切ることを得意としていました。

    もちろん白番などではすごい力を発揮して戦い抜くこともあるのですが、共通しているのは深い読みと正確な形勢判断が秀策の強さの秘訣だということです。

    12歳というこの時代からその片鱗は十分に感じることができます。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その12

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その12

    石川乙次郎(善八?)との対局です。

     

    少し調べてみたのですが、この石川乙次郎という棋士の情報が見つかりませんでした。

    記録が残っていないのかもしれません。

     

    現代まで残っている昔の棋譜ではよくあることです。

    対局者の名前しか分からず、どういう人か情報が無いということは結構あります。

    秀策の活躍した時代は江戸の末期ですので、だいぶ記録や文献がしっかり残っている方ですが、もっと前の時代の棋譜では対局者の情報が不明という棋譜はよくあります。

     

    この石川乙次郎さん、どこの家元なのかも不明ですが対局内容はとても立派な内容だと思います。

    棋士としていい碁を残すことで150年以上経った今でもこうして名前だけは残ります。

    そう考えると何だかすごいことですね。

     

    それでは早速対局を見ていきましょう!

     

     

    敗れはしましたが、秀策少年と先番で2目負けと好勝負を繰り広げています。

     

    途中、秀策が上辺の黒を大きく取り込み、はっきり優勢かと思いましたが、黒も左下を立派にまとめ上げて計算してみると意外と細かくて驚きました。

    最後はキッチリ秀策が2目残しましたが、黒もしっかりと戦い抜いたと思います。

     

    棋譜が残っていないだけでこの時代ももっとたくさんの棋士がいて、数多くの対局が打たれていたんでしょうね。

    プロ棋士として棋譜が残るということは、何百年先までこうして人の目に入るということです。

    私たちアマチュアには関係ないですが、プロの方にとって棋譜が残る対局は気合いが入るというのは何となく分かる気がします。

     

     

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  • 囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その11

    囲碁の棋譜【本因坊秀策】感想を書いてみる〜その11

    当時の本因坊家当主、本因坊丈策との1局です。

    丈策は第13世本因坊で、第11世本因坊元丈の実子です。

     

    先代の丈和や跡目の秀和に比べると知名度が少し低いですね。

     

    丈策の有名なエピソードといえば、以下の話があります。

    井上家の玄庵因碩が名人碁所を臨んだ際に、跡目の秀和を争碁の相手として送り、秀和が勝ったことで玄庵因碩の名人就位を阻止しました。

    本来は本因坊家当主である自分が争碁を打つべきだったのでしょうが、棋力で劣ると判断して秀和を送ったと伝えられています。

     

    井上家、玄庵因碩からすると憎き相手でしょうが、当時の家元は名人位を巡って文字通り手段を選ばない方法で争いが繰り広げられていました。

    そこには囲碁だけではない、人間味あふれるドロドロした戦いも多くあったとされています。

    機会があればそうした話も書きたいですね。

     

     

    さて、この碁は秀策との2子局です。

    大阪遠征で中川順節に2子で4連勝した秀策少年。

     

    当主である丈策との対局はどうだったのでしょうか。

    早速対局を見ていきましょう!

     

     

    秀策が何とか逃げ切った1局でした。

    丈策も序盤から巧みに打ち回し、コウを絡めて差を着実に詰めていった印象です。

     

    しかし、最後はしっかりと秀策が4目残したことで、丈策も秀策の力を改めて認めたことでしょう。

    跡目に秀和、その下に秀策という天才がいることで、この先の本因坊家の安定と繁栄を確信していたかもしれませんね。

     

    丈策はあまり有名な棋士ではありませんが、棋譜を見る限りでは決して弱いわけではなく、準名人(八段)である本因坊元丈の実子というのは伊達では無いと思います。

    病弱であったと言われており、七段という段位で終わってしまったのが勿体無いですね。

     

    また、囲碁だけでなく学識にも優れ、棋界一の博識であったとされています。

    文人でもあり、本因坊知伯から本因坊元丈の代までの本因坊家の打碁65局を収めた「古今衆秤」という棋書を発行したことでも有名です。

     

     

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